今年の締めくくり

2001年12月29日
●12月29日なので、そろそろ今年の反省を。

「さて、、今日も誰かを助けなくてはいけないのか。」と弾みをつけて日々己の責任などを果たすべく様々な綻びを繕う一年であった。

ま、今年だけに限る事ではないのだが。

現象的にはさまざまなことを経験した。
社交ダンスや、大学卒業、山本先生のお言葉など様々。

私の内部事情的には似たようなものであった。
この時代に人の生活を預かり大仰な展望を語るより、ポーカーフェイスで火消しを請け負うには十分な時間はあったが、自己内部の脆弱な部分を認めるに至るも十分であった。
酷薄な横顔と信頼に足る笑顔の為に常に口元を引き締めているにはまだまだ自分は未熟である。

昨日も知り合いと喧嘩したが、よく考えれば、その現象は違うにしろ、文句が言いたいことは同じパーツで、私のパーツとヤツのパーツのかみ合わない部分に苦虫をつぶし、苛立ちを募らせている。

無理にあわせることもなく、ただニコニコ笑ってしまえばいい、何も考えなければいいのだが、相手とココロが通えばよいなとわけのわからぬ事を考え、実行し失敗に終わる。

残念なことだが弱い者は往々にして淘汰されていくものであり、弱弱しい光源は被いを掛けられる。
美しいものや讃嘆はひと時の娯楽や避難所となり、キツイ酒を煽るを潮に自分では見る事が無い顔とおそらく同じ表情をした人々とまたパワーゲームに興じるを繰り返す。

私は基本的に相談や誰かに頼り自分の荷物を預けることをしない。事後報告を行うのみである。
トラブルの最中に誰かに漏れ話すと集中できなくなり判断に自己責任を持てなくなるからだ。
判断ミスによる当事者意識は場合によるが複人数持つと人数分の解決策よりも問題が個々の分散を起こし強靭なリーダーシップを執れる人間が必要になる。

心の奥を誰かが汲み取ってくれることをどこかで期待しているようないじましい考えは好きではないクセに、誰かが言ってくれる言葉に「全て違う。」とがっかりする矛盾。
アンバランスで人に迷惑をかけないようにしたいと思う。甘えと自分を労わることの違いの線引きをどうも自分の都合で引くくせが抜けない。大人が優しいのは優しくできるくらい厳しい部分を持ち合わせているからだろう。それにつけこんで甘えてしまい自己嫌悪に陥ることが少なからずあった。今年も反省点が多い。

こんな風に過ごし、また来年の同じ時期に同じ反省を繰り返すのでは芸がない。
ちょっと大きいボールと小さいボールと入れ替えて、新しいルーレットに兆戦するのも悪くない。
すっとこのボールで勝てると思うな。
すっとダブルゼロに賭ける客もいると思うな。

ちょっと風をいれかえる。
大事な人の相容れない判断もよかれと思ってみる。

何度も「口先ばかりで全ては虚勢だったのです。」と全て放り出してしまいたいと心底思ったが、つい口元が綻ぶような「今日の天使」になって私の目を逸らせなかった人達に感謝したいと思う。通りすがりに買った缶コーヒーにさえも。
ヒリヒリするような状況の中で肝を据えて身を置き、全てが終わってから涙を一人でゆっくり流せたのも彼等のおかげである。

ありがとうございました。

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